2016年5月3日火曜日

日本人のDNAという妄想 ~この世にタダのリソースなんて無いという話~

 昔読んだ「学力だけじゃない、体力もカネで買う時代/シロクマの屑籠」という記事の事を最近よく思いだして考える事がある。この記事のポイントを私的にピックアップして要約すると、

 「昔(昭和50年代ぐらい)」には子供は外で体を使って遊ぶのが一般的でありで貧しい子供でも体力だけはあった。つまりは体力は貧乏でも手に入るリソースであり、ゆえに「勉強しない子どもは身体を使う仕事に就け」といった話ができた。
 だが現在では無料で子供が体力を使って遊ぶ場がないので貧しい子供は結果的には体力すら与えらず、結果として体力というリソースはタダではないのではないかという指摘である。

 私は初めて読んだ時にとてもユニークな指摘で的を得ていると思った。だからこそ今でも覚えているわけだが、最近は別の話でもこれと似たような現象が起きているように思う。それは「日本人は勤勉である」という命題である。


 政府や企業家、あるいは会社の上司にもたまに感じるのだが、時折「日本人は勤勉である」あるいは「日本人は几帳面なので精密な作業ができる」というような話になる事がある。もっと顕著なのはテレビでたまに聞くような「日本人のDNAは○○だ」的な言説を聞くこともある。
(補足:これは明確にそう言ったというよりは、そう思っているような口ぶりでよく聞くという意味で)

 こういった話は普段何気なくしているので意識が無いとおもうが本当はちょっと変な話である。なぜならば、あたかもDNAに勤勉であるとか几帳面であるとかいう遺伝子が存在するような口ぶりだからだ。
 だが普通に考えればそんなDNAは存在しないと考えるべきだろう。仮にあるとするならば、それはむしろDNAではなく文化の中にあるという言い方になるだろう。
 これは一見するとちょっとした違いにしか見えるかもしれない。どうもこれをごっちゃにして考えている人も多い気がする。
 しかしこの解釈の違いが現在では大きな認識の誤りを産み出し、むしろ社会を誤った方向へ誘導しているのではないかと思うようになった。


 最初にこの事を意識し始めたのは労働環境における非正規の待遇の悪さや、教育に対するリソースの軽視といった記事をよく見かけるようになってからだった。
 本来ならば生活に窮するような低賃金だったり、休みもろくにない過酷な勤務状況がつづけば、人が疲弊して仕事の品質や維持が難しくなるので改善を考えるような問題なのだが・・・
 あかかも為政者や大企業さらには中小会社の経営者においても、日本人は勤勉なDNAがあるので特に教育や保護をしなくても勝手に優秀な労働者が産れてくると勘違いしているように見える時がある。

 また現在の社会の複雑さを十分に理解できていないように思う時もある。例えば年配の人が最近の新人はあんまり仕事ができなくて苦労もしてなくて云々と言う話を聞くことがあるが、その度に内心次のように思う事もあった。

 『そんな事いっても、おまえじゃコンビニの店員すら勤まらないだろう』

 私の若いころはコンビニのバイトは定番で簡単な仕事だったが、現在では販売する品種やサービスが多様化してかなり複雑な仕事になっている。それにコンビニだけではなく、現在はITが進化したおかげで下手すると分単位での報告や作業ノルマを強いられる世の中なのだが、年配の人の中にはそれらをよく理解できていない人も多くいるように感じる。

 だからこそ最初に述べたようなDNA云々といった勘違いに繋がるのだろう。当たり前の話だが、生活に追われてろくな休養もなく教育も受けられない人間が『高度なモチベーションやモラルを持った高い労働者』になるわけがない。
 特にここ最近では非正規雇用が増えたせいで労働者はますます扱いが雑になっている。そして疲弊した結果、仕事の質もモチベーションも下がり続けている。


 私はこの問題が日本が徐々に衰退を続けている一つの大きな理由ではないかと考えている。人間や教育を軽視する結果、この国はどんどんと疲弊して劣化し続けてきたのではないだろうか?

 ゆえに私はTPPの問題を一番に懸念している。TPPが成立してグローバル企業にフリーハンドを与えるような事になれば、彼らは他の国でしてきたように労働力をひたすら安く使って使いつぶしてゆくだろう、あたかも焼畑農業のように。
 だが焼け跡から人材が復活するのにはどれぐらいの期間がかかるだろう、いやそれ以前に復活する事ができるのかどうかすら疑問である。


 そもそも「日本人は勤勉である」といった話は、本来は身内同士で励ましあうようなローカルネタのようなものだったのではないだろうか。野球チームで俺たちは勝つぞと言って励ましあうような合言葉のような罪のないものであったのではなかろうか?

 だが現在ではそれはおかしな信仰のようになって、ありもしない民族的な神話、さらには人種差別(ヘイト問題)にもつながっている気がする。これは現実的な問題をきちんと理解しようとせずに、安易な精神論的でお茶を濁すような風潮によるものではないか。経済が低迷して自信喪失したこの国で安易にまき散らした誤った解釈の影響ではないのか?


 ちなみに少し脱線するが、もう一つ浮かぶのが「日本人はなぜ学力が高いのに生産性は低いのか/永井俊哉ドットコム」という記事である。この記事では「擦り合わせ型アーキテクチャ」「組み合わせ型アーキテクチャ」という言葉で日本の衰退について分析を行っている。
 「組み合わせ型」とはつまりブラックボックス(仕様は解っているが中身は解らない物)を組み合わせて仕事を行う事を指し、「擦り合わせ型」はその逆(ホワイトボックス)に仕様も中身も共に理解している部品を組み合わせて仕事を行う事を示している。
 そして日本はお互いにホワイトボックスである事を前提にビジネスを行う典型的な擦り合わせ型の文化である。記事では世界的な潮流は「組み合わせ型」に移行しつつあり、それが苦手なゆえに日本はそれまで得意であったはずの製造業ビジネスですら苦戦していると分析している。

 この指摘は的を得ていると思う。特に私はソフトウェアエンジニアなのでこの指摘が痛いほどよくわかる。なぜならば「組み合わせ型」の代表的な仕事がソフトウェアだからだ。しかもこの分野は本当に情けないぐらいに日本は弱い。ソフトウェア設計や開発をしてきた経験からすると、理由はわからないがブラックボックス的な思考を苦手とする人間が多く、それによる障壁も小さくはないからだ。


 しかし、とにかく問題なのは「おかしな精神論もどき」のような話や雰囲気に溺れて、本来やるべき現実を冷静に分析するという事ができていない事だ。

 特に最近の与党政治(安倍政権)からは神がかり的なんだかよく解らないような言説も時折飛び出し始めて末期的な気がする。はじめは政治家も戦略として国民の目を不満からそらす為に「日本ヨイショ」的な行為(例えばクールジャパン系)をやり始めたのだろうが、最近ではむしろ自分達の方が酔って言う事が怪しくなっている気がする。

 そして世間ではヘイトスピーチやクレイジークレイマーといったおかしな問題も増えた。これらは経済や立場的に追い詰められてプライドを奪われた人間が陥る闇の部分によるものではないのか? それらが嫉妬や上手くやっている奴はきっとイカサマをしている的な妄想、弱い立場の人への高圧的な態度になっているのではないか?
 油断しているとそういった雰囲気が国内を覆い尽くすのではないかと懸念する。もういい加減に精神論な物言いをやめて、まともな社会の立て直しを考えるべき時期だと思う。
(補足:ちなみにTPPに固執するのは経済成長にすがる願望で冷静さを無くしている行為と言えるのではなかろうか)

<参考リンク>
・学力だけじゃない、体力もカネで買う時代 - シロクマの屑籠
・日本人はなぜ学力が高いのに生産性は低いのか | 永井俊哉ドットコム