2014年12月30日火曜日

人生の転機について考える ~赤毛のアンより~

 最近ふと「赤毛のアン/モンゴメリ」を読み返す機会があって、そのときに、ふと考えこんだ事について書き留めておく。ちなみに「赤毛のアン」は有名すぎる作品で、名作アニメで現在も放映されているぐらいなので、物語についての説明は全て割愛する。


 私は久々に、多少の訳があってかなりじっくりとこの作品を読み返した。すると過去に読んだ時には、あまり気に留めなかった下記の2つのシーンがとても印象に残った。

 1)マシュー・マリラの兄弟が、アンを引き取る決心をするシーン
 2)マシューの死後、マリラを支える為にアンが奨学金による進学をあきらめる決心について


 まず、1)のアンを引き取る決心をするエピソードは、それまで二人だけで特に不自由もなくのんびりと暮らしていたマシュー・マリラの兄弟のもとへ、間違いで男ではなく女のアンが来て、マシューがアンを引き取りたいと言った際に、マリラが驚いて反論した際のセリフである。
 マリラ 「あの子がどれだけわたしたちに役立つとおもうんですか?」
 マシュー「わしらがあの子の役に立つかもしれないよ」

 ここでのマシューのセリフは、それまでのマシュー・カスバートという人物について考えると驚くべき飛躍である。マシューは酷いハニカミ屋で、どちらかというと他人を避けるように暮らしてきた人であり、善良ではあったが、とうてい誰かを積極的に助けようとするような人物ではなかったからだ。
 それにアンが来たのはあくまでも間違いであり、この点については何の責任もない。だが責任うんぬんという話を除いて、ここでマシューは進んで誰かの為に立とうと考え、それまでの自分の枠を超えた一歩を踏み出すのである。

 つづいては、当初はアンを孤児院へ戻すつもりだったマリラが、アンが代わりにケチで評判の悪い家に奴隷代わりのような扱いで引き取られそうになる局面にきて、ついにアンを引き取る決心をしたシーンである。この時にマリラは心の中で次のようにつぶやく。
 マリラ「マリラは、もしその無言の訴えをしりぞけたなら、きっと生涯つきまとわれるだろうと思って・・・こんな女に、繊細な、神経過敏な子供を渡すのだって! いやいや、そんな無責任なことはできない!」
 ここではマリラもマシュー同様に、大きな飛躍をする。自分達の損得という枠を超えて、そうあるべきと思われる道を選んだ。そしてそれまでの自分達だけの生活から一歩踏み出し、初めてあった孤児の為に行動するのである。

 この二人の決断は、それまでの「自分たちの為(あるいは自分たちの枠内)に生きる」から「誰かの為に生きる」事を選ぶという、とても大きな飛躍である。そして、この決断が二人の人生を変える。

 アンが来る前は、平穏であっても、何の味気もない繰り返しのような日々を暮してきた二人だが、アンが家族になる事によって日常が変わる。アンへとの愛情から喜びが生まれ、生活に驚きと楽しみが生まれ、日々が豊かになることから幸福へと繋がってゆく。もちろん、それまで孤児で踏んだり蹴ったりだったアンの人生も劇的に改善する。家族からの愛情を得て、教育される機会を得て、良い友達や人たちに巡り合う機会を得るのである。


 そして、もう一つが2)のアンが進学をあきらめるくだりである。マリラはマシューの死と銀行の破たんという苦境に立ちながらも、家を売ってアンの進学を支えようとする。だがアンは奨学金を辞退して進学をやめ、代わりに地元で教師になってマリラを支える決心をする。
 これは、アンの人生における大きな決断である。詳しい事情を知らない人の中には、奨学金で有名学校へ進学できるという破格の機会をみすみす棒にふったアンを愚かだと言う者もあった。それにマリラは多少無理をしてもアンを進学させる気があったから、アンは進学を選ぶという選択もありえたはずである。
 だがアンはあっさりと進学を止めて、地元で教師になる道を選んだ。それは目の前の進学という野心ではなく、家族であるマリラを支え、思い出ぶかい故郷であるグリーンゲイブルズを守るという事を選んだということである。

 これは一見するとアンは損な選択をしたように見える。だがその勇気ある決断は、育ててくれたマリラの恩に報いるだけではなく、長年仲たがいしていたギルバートと和解を導き出し、さらには親しい者たちからの尊敬と、自身の誇りを得ることにも繋がったのである。


 この2つの印象的なシーンについて、モンゴメリが意図していたのかどうか解らないが、私には次のような教訓に思えた。

 「自分の為に」という枠を超え、「誰かの為に」という一歩を踏み出すという事が、真に幸福を得る道ではないか


 そして物語を読み終えて、現実世界にもどった際に感じたのは、同様に「自分の為に」という枠を一歩超える事が、現在の現実世界でも起こっているあらゆる問題解決を行う為の鍵ではないのかという事だ。

 教育のせいなのか、文化的なものなのか解らないが、一般に我々は「目先の損得」に固執しすぎ、そのおかげでかえって多くの場合に問題を引き起こしてデメリットを得ている。さらには「損得で得」を選び続けているつもりで、最終的な結果から見れば「とてもツマラナイ人生」を送っているのではないかと思うことがある。

 「損得」と言っているものも、所詮は数多くある価値観の一つに過ぎず、この世には「決して代替えできない物」が沢山あるにも関わらず、なのに私たちは「ちょっとでも損だと思う選択」を恐れて本来あるべき勇気ある決断ができないでいる。・・・そんな事を考えさせられた。


 最後に、久々に読み返した「赤毛のアン」は、読めば読むほど新しい発見があり、物語に描かれる豊かな世界やユーモアなど本当に素晴らしい本である。なお今回書いた2つのシーンについての考察だが、自分でも何でもっと早く(何年か前にでも)こういった事に気が付かないのかなと多少悔やまれる。この年にならないと、こんなシンプルな事に気づかないとは・・・自身の未熟さが痛感させられる。
(もっと早く解ってりゃ、もう少しマシな人生をおくったかな? なんてね)


<補足>
・セリフの引用は電子書籍版「赤毛のアン/中村佐喜子訳」からのものです。

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