2014年10月26日日曜日

知性が信頼されない時代

 最近教育関係について2つの気になるトピックがあった。1つめは「国立大学から文系学部が消える!安倍首相と文科省の文化破壊的“大学改革“」という記事で、どうやら安倍政権は大学から文学部を廃止してもっと企業ニーズにあった人材カリキュラムに見直そうと考えているらしいという話。そして2つめは「吉村哲彦の高齢者蔑視と生涯学習蔑視」で、年を取った人間の学習など無意味であるという大学教授のコメントである。

 私は、そのニュースをみた瞬間に何かが「カチン」ときて、ぜひ反論を書こうと考えていたが、少しまえに「生涯学習の公共的意義について/人類応援ブログ」にてこれ以上ないぐらいの完璧な反論が書かれていたのでこの点についてのコメントを止める事にした。代わりにちょっと違う視点で関連する話題を書いてみようと思う。

 テーマは「知性が信頼されなくなったという現象」についてである。

 「知性が信頼されなくなった」とはどういうことか、これは最初にあげた2つのトピックを次のように読み解いた場合に見えてくることである。安倍総理の場合は、おそらく「文系的な知識や教養的なもの」は金を稼ぐには役に立たない、よって不要だと考えたのだろうし、吉村教授の場合は、「なんらかの功績を残せないような知的活動」は価値がないと考えたのだろう。

 これはパッと見はもっともらしく聞こえる意見である。だが、非常に短絡的な意見であり大きな誤解をまねている。そもそも上記の二人がさしている知性はあまりにも限られた狭い話だけをしている。そもそもこの世には何の意味があるか解らない物が沢山あって、実はそれらの中にとんでもなく重要な事柄が秘められている可能性をまったく考慮できていない。

 分かり易い例を言うと、この世の優れた発明は大発見、ひいてはそれを行った天才達というのは、大抵は最初は認められなかった。理解されずに馬鹿にされたものだ。アインシュタインいわく「一見して馬鹿げていないアイデアは見込みがない」というぐらいである。よってもしも安倍総理が言うような改革を行ったとしたら、よりいっそう日本からはイノベーションが起こりにくくなるだろう。

 それに、そもそも教育というのは結果が出るのに非常に時間がかかる。10年、20年、あるいは数十年後になってようやく結果が出るようなことだってあるだろう。そんな分野の話を、目先の都合で選ぼうというのはまさに馬鹿げた話である。

 これらはどちらかと言えば「知性が何かを解ってない」という問題と言えるだろう。



 ではテーマの「知性が信頼されない時代」とは何かと言うと、最近の大学事情や就活事情の話を目にするたびに思っていたことなのだが、以下のような話をよく耳にする。
<就活事情について>
・就活に忙しくて大学で学んでいる時間があまりない
・大学での研究内容などはあまり聞かれない
・普通は答えられないと解っているトンデモ質問があった

 こういう話を聞いて思ったのは、ようするに「採用側(企業)では大学での教育(知性)というのをハナッから信用してない」ということである。なのに、採用に○○大卒とかを基準に選んでいるとは非常に矛盾である。そして採用側がこんなんだから、学生側も学問に対して価値を見いだせてなく、取りやすいものやウケのいい教科だけを選ぶようになる。この為にまさに知性に対する劣化の繰り返しをしているのだろう。

 こういった話を聞くたびに非常に馬鹿げていて無駄な話だと思う。ならばそもそも大学卒業などは最初っから意味がない。必要なのは大学に入ったというポテンシャルのみ。だったら、いっそ次のようにすればお互いに面倒が無くて良いのではないかと思う。

<大学及び採用ルール見直し案>
1)大学に合格したら、大学側は受験者に大学合格証書を渡す。
2)採用側は、大学合格証書を基準に採用する。

 このようにすれば、学生はそもそも信頼されていない大学教育を受ける手間がはぶける。採用側は今よりも若い人材を採用できる。そして、本当の意味で学問したい人間だけが大学で学べば良い。


 だが根本的な問題を言えば、もっと多くの人は「知性」が何かを理解するべきだし、そして「知性」に敬意を払うべきだ。だが私はこれをアカデミックなものに対して言っているわけではない。そもそも本質的な「知性=教養」というものは必ずしも大学で学ぶものでもない。

 例えば、近所に八百屋の親父がいたとする。この親父は八百屋で単に仕入れた野菜をうるだけの行為に疑問を抱いて、野菜の製造過程に着目して考えるようになった、そうしているうちにさらに疑問が湧いてきて近代化する前の農業の手法や思想およびその文化的な意義は何だったのかといった事まで考えるようになった。
 こういったものが本来の「知性=教養」である。学校へ行くか行かないかは問題ない。年齢も場所も職業なども関係ない。ただ一つ重要なのは「自分の頭で考えて答えを出す事」である。

 逆に言えば、自分の頭で考えてない人間はどれだけ知識量があったところでさほど役には立たない。そんな人間は何万人いたところで、おそらく大した意味はない。

 そして、最初に何故に安倍総理のニュースにカチンときたかと言うと、

「おまえ、絶対に自分の頭で物事考えたことないだろう」と言いたくなるからである。

 同時に、こういった馬鹿な意見を放置する、さらにはこういった考えを吹き込む人達がこの国の上層を占めているという事実を想像すると、もはや絶望しか無いような気がしてくる・・・。


<参考リンク>
国立大学から文系学部が消える!安倍首相と文科省の文化破壊的“大学改革“

吉村哲彦の高齢者蔑視と生涯学習蔑視

生涯学習の公共的意義について

2014年10月17日金曜日

エボラ出血熱はどれだけヤバイのか

 先日、アメリカの看護師がエボラ出血熱に感染したニュースがあり、これを受けたかのように国連での緊急事態ニュースが流れた。ようやくエボラ出血熱という病気のやばさが、全世界にリアルに伝わりだしたように感じる。でも、なんとなくではあるが日本(政府関係)では、まだ緊張感があまり感じられてないようにも感じる。そこで今回は、私的レベルなのだけども、解っている状況を整理して「いったいエボラ出血熱はどれだけヤバイのか」というのをまとめてみようと思う。


1.なぜにエボラはヤバイのか

 ちなみに「なんでエボラはヤバイ」と私自身が思っていたかというと、1990年代にエボラ出血熱がアフリカで小流行したことがあり、もともと科学マニアの気がある私はネットで調べたり、本「ホット・ゾーン/リチャード・プレストン」や、映画「アウトブレイク/ダスティン・ホフマン主演」を見たことがあるからだ。

 当時エボラ出血熱が注目されたのは感染力の強さと致死率の高さだった。なにしろ感染した場合の死亡率は90%以上でかつ病人を治療した医師がバタバタ死んでいったことから、これはヤバイ病気だということでアメリカでは本格的に研究が行われた。そして調査の主役だった「アメリカ疾病予防管理センター(CDC)」の実話を描いたのが書籍「ホット・ゾーン」である。

 ただし結果としてこの時からエボラは定期的に小流行はしたものの、現在のような大流行は起こらなかった。それは何故かと言うと、当時のエボラは潜伏期間が短く(たしか3日前後)でかつ死亡率が90%以上なので、流行する前にすぐ全員が死んでしまうから、という理由だ。決してたいしたことない病気だからというわけではなく、逆に凶悪すぎた為にかえって広まらなかったのである。

 では2014年度の大流行はどうして起きたのかというと、2014年に流行したエボラ出血熱は2つのタイプ<従来型(致死率90%だが潜伏期が短い)、新型(致死率60%だが潜伏期が長い)>があって、新型のエボラ出血熱が大流行したのである。大流行した最大の原因は、新型エボラは潜伏期が長い為にすぐに発病せずに多くの感染者(患者)に広まってしまった事によるものだ。

 なお大流行の原因について少し補足しておくと、私は前からエボラ関係のニュースを耳にするたびに、どうも世間はエボラ出血熱を舐めすぎているような違和感を抱いていた。それが、そもそも大流行の原因についての解釈の違いに現れていると思う。
 私はちょっとマニアなので、新型出現により現地で医者がバタバタ倒れているという状況を聞いてすぐにヤバイと思っていたが、ニュースやネットなどでもろもろと伝わるポイントは次のようにちょっとずれた話を多く見かけた。

<大流行の原因とよく目にしたもの>
 1)初動に失敗した。病人が医者にかからずに、近所の呪術師的な民間医療に頼った。
 2)アフリカ現地の衛生環境、医師の未熟さ。
 3)死体を土葬するとかの現地の習慣によるもの。

 まあ、上記も一因としてあったのは確かだが、私的にはこれらは微々たるもので、やはり最大の原因は潜伏期の長さと下がった死亡率だと思う。潜伏期が長いということは、それだけ人知れずに病気が感染する確率が何倍にも増大するし、死亡率が下がったことはつまり患者がすぐに死なないのでより長い治療期間が発生してさらに感染者を増やす事につながるからだ。

 ちなみに、上記1)~3)についてだが、私がこれらを誤差の範囲とみなす理由は、もしもエボラ出血熱が日本で発生したとしたら、きっとアフリカと大差ない状況で到底大流行を止められないと想像するからだ。むしろ人口密度が高くて人や物の流通が激しい日本では、アフリカ以上の速度で流行すると考える方が妥当だろう。ゆえに私は、ずっとエボラはヤバイと思っていたし、どうもメディアの論調は事態を舐めすぎているような気がしていた。


2.エボラについて解っていること

 これは2014年度の大流行にて、私がずっと不満に思っている事なのだが、驚くほど実はエボラについて良く分かっていない状況が今はあると思っている。これは日本のマスコミがサボっているのか、あるいはパニックを抑えるために伏せているのか解らないが、少なくとも日本のメディアを見る限りでは重要な事が結局は何もわかっていない。(というか、報じられてない気がする) たんに私が知らないだけの可能性もあるが、重大な事なのでもっと周知されるべき事案だと思し、現状は次のようなまさにグダグダな状態だと思う。

<本来エボラについて知りたかった事>
1)感染方法やルート
 「接触感染)発症患者の体液や糞尿など。マスコミでは一般的には感染力は低いと伝えられている・・・」
 しかし、実際にアメリカの伝染病対策のプロが感染したケースが多数あることから、感染力低いという言い方はオカシイだろうとここはツッコミを入れたい。さらにアメリカの感染での例から、空気感染が起こっている疑いや、盲点になっているケースがあると思われる。よって、感染方法についても現状ではよく解っていない点があるというのが正確なところだろう。

2)予防手段
 例えばマスク着用の効果や、手洗いの効果など。予防手段があるのかないのかも伝わってない。まじめに考えたら、物品の移動(輸出入)を含めて感染する可能性があるのかどうかとか、食品に含まれる可能性や加熱効果の有無とか、なんら役に立ちそうな情報が欲しいのだけど、どうもメディアには出てない。(仮に役に立たないなら、立たないと明記して欲しい)

3)治療方法
 現在色々なワクチンが試されているようだが、まだ確実に効果が得られると証明できてるには時間がかかるだろう。仮にできたとしても、インフルエンザ並に大量生産する事が可能かなど、課題は多いだろう。だから、いつ治療できる状態になるかが、そもそも不明な状況にある。

4)日本で感染した場合の手順
 まったく見たことないけど、そろそろ必要だろう。

5)日本政府の対応状況
 いまのところ、対策らしい動きは聞いた事がないのだけど、特に国内で発生した場合の対策がない。言っておくが医者が死ぬような危険な病気なので、病人が普通に病院に行くことすら危険である。だが、これらはまったく考慮されていないようだ。

 とまあ、こんな具合で、ちょっとまとめると、いかにエボラについてよく解ってないかがよく解った。

<補足:エボラ出血熱はレベル4>
 エボラ出血熱はアメリカの格付けでは最も厳しいというレベル4に相当する。ちなみにこの格付に対応するレベルは1~4まであって、それに応じて管理できる病院や施設が異なる。
・レベル1~2)危険ではない病気や微生物の研究
 対処が解っているインフルエンザとかもこれにあたる
・レベル3)危険な病気だが治療法がある
 狂犬病など
・レベル4)危険な病気で治療法が確率されてない
 エボラ・天然痘など

 そして日本では上記のレベル4設備は2か所しかなく、しかも危険だということでレベル3でしか稼働していない。つまりは実際に扱える病院や研究機関がそもそも日本には無いのである。実際のところ、医師だって伝染しかねない病気なので、エボラ患者を入院させるとなると、実際にはエボラ専用の病院を用意しないとしょうがないだろう。だから、アフリカだから危なくて日本ならセーフという理論は成り立たない。むしろ人口密度が高い日本の方が不利に作用しかねない。


3.今後はどうなるのか・・・

 ここまで書いてなんなのだけども、正直言って私にも良く解らない。上記までで書いたようにエボラについては良く分かってない事が多く、「神のみが知る」という域だ。危険にさらされているのはアフリカだけではなく、世界中である。例えばアフリカは近年は中国からの出稼ぎが多いので、中国に持ち込まれる可能性も高い。もしそうなれば、すぐにアジアにも広がるだろう。そして「もしも日本の都市部で感染者が現れたら」感染爆発を防ぎようがないかもしれない。

 こんなことを書いていると、昔からある例え話を思い出した。

「とある池があって、そこに生えた蓮の葉が一日で倍に増える。そして29日目で蓮の葉は池の半分を満たした。池のすべてを覆うのはいつになるだろうか?」

 答えは翌日の30日である。計算すればあたりまえの事だが、でも現実でおこればおそらく普通の人間は29日目はまだ残り半分あるから大丈夫だと思うだろう。エボラの怖さはここにあって、現在のグローバル化した世界ではエボラ出血熱は中世時代のペストに匹敵するぐらいの脅威かもしれない。

 しかしそれでもまだ運があって防ぐチャンスは残っているとも思う。なぜなら私はずっとニュースを見ながら「夏の暑い時期にエボラが日本の都市圏で発生する」のが一番最悪のシナリオで、それが起きたらもう終わりだと思っていたからだ。
 エボラの感染経路はまだよくわかってない部分があって、仮に満員電車で薄着に汗とかいうシチュエーションがあったら、どれだけ急激に感染するか分かったものではない。だから、夏を乗り越えたのは非常にラッキーだと思う。このままアフリカでなんとか抑え込めて、冬の間に先進国での拡大を防げたら、なんとかなるかもしれない。

 そんな中で心配なのは、日本政府がなんとなく頼りない気がするからだ。原発事故の例などもあるが、日本は前例の無い事態には滅法弱い。さらには今の安倍政権は集団自衛権と消費税以外は頭になくて、このエボラという問題を軽んじているのではないかという懸念がある。
 どうしてそう思うかと言うと、いまだに国内で防護服の準備だの、危機マニュアルを作って公開する動きといったものを聞いた事がないからだ。ちょっと前までテレビで専門家が「日本では感染拡大はおきません」とか言っていたいたように、政治家もテレビ見ながら「なんだ先進国では大丈夫なのか・・・」とか思ってそうで怖い。
(補足:ちなみに阪神・淡路大震災の時は、政治家はテレビで被害状況を知って大事態に気が付いたという笑えないエピソードがある)

 何度も言うがエボラは超危険である。兵器で言うと核なみに危険な「B(バイオ)兵器」に相当するウィルスが世界中で拡散しつつあるという事を軽く見てはならない。だから、そろそろ日本でも身近な問題だと危機感をもって取り組んでもらいたい。

<余談>
 「なんでこんな超危険でずっと昔から知られていた病気にワクチンが無かったのだろうか?」 理由は開発が難しかったからということではなく、作っても儲からないと思われていたからだ。いままでは発生しても数十人程度であり、またお金の無いアフリカだという地域事情もあり、危険な病気と分かってながらワクチンは開発されなかった。
 これは新自由主義社会の弱点がまさに露見した事態であり、経済優先に目がくらんだおかげで文明レベルの厄災を呼び込んだといえる。まさにグローバル化により市場原理に最適化しすぎた結果がこの顛末とは・・・。

<参考リンク>
エボラ出血熱 医療機関での感染防止が課題

2014年の西アフリカエボラ出血熱流行

バイオセーフティーレベル
 
Ebola infections outpacing health authorities’ efforts: UN official

2014年10月12日日曜日

イスラム国というアラブの大変革

 あなたは「イスラム国」と聞いて何を思い浮かべるか?

 私は正直に言うと、ちょっと前までは「北斗の拳」や「マッドマックス」を連想してた。つまりはシリア・イラクという国情が不安定な場所にはびこった、力を唯一のモットーとした暴力的な組織で、頭がモヒカンの代わりにターバン巻いて「ヒャッハー!!」とか言っているような人達だと思ってたのだ。

 だが同時に、ちょっと不思議だとも思っていた。もしも本当に「北斗の拳」的な世界ならば、どうして世界の各地からイスラム国を支援しようとする人が集まるのか、また急速に成長した背景となる現地の人たちからどうやって支持を取り付けられるたのかという事実に説明がつけられないからだ。(単純にモヒカンでヒャッハー的なだけなら、こんな支持が得られるわけないので)

 そんな疑問を感じていた時に、ちょうどビデオニュースや書籍で「中田考」(イスラム研究者であり、かつ自身もイスラム教徒)の話を見たり読んだりしたことで、考えが180度、もしくは一周して560度ぐらい変わってしまった。そこで、今回はイスラム国ひいてはイスラムとは何なのか、というテーマについて、現在把握している限りで書いてみる事にする。


1.「イスラム国=北斗の拳」的なイメージ
 イメージとして北斗の拳を思い浮かべた、直近の理由は最近あったジャーナリストの首を切った映像による事件である。これだけ聞くと、どうしても残虐で野蛮な連中だと思ってしまう。だが実は首を切るという行為はイスラム教での正式な判決実行方法であり、別に実行者が殺人狂的だったり、血を好んでいるというわけではないらしい。
 まあ、それでも首を切るのは我々的にはショッキングで理解しがたく思うのだが、アラブの遊牧民的な世界では日常的に羊の首を落としたりするところなので、現地的にはあまり特殊な行為ではないそうだ。ちなみに、他の事例ではイスラム国の司令官が犯罪者を銃殺したところ、「なんでイスラム法規に従って首を切らないのか」というクレームが市民からあって、司令官が謝罪したケースがあるらしい。だからこれは無法で無秩序な行動というわけではないのである。

 しかし、そうは言っても首を落とすなんて(たとえ羊だとしても)という人もいるだろう。そこで、ちょっと考えて欲しい。例えば、日本だと普通に「マグロの解体ショー」とかあって、観光したりその場で解体したマグロを食べたりもする。でも、例えばこれが「牛の解体ショー」で、松坂牛をリアルに解体してその場で肉食べるとかというショーだったら参加はありえないでしょ。本当はマグロの解体ショーだって特殊な文化的な背景がないと説明できないようなものなのだから、アラブの文化的な背景が違うことは頭におかないといけない。だから彼らを血に飢えた連中とただちに考えてしまうと、本来の話が見えなくなる。

 あと補足すると、そもそもシリア・イラクあたりは現政権の残虐行為が日常的であり、それに慣らされているという事情もあり、処刑されたジャーナリストというのは、スパイとして処刑されたという事でなので、実際にどちらの言い分が正しいのかは解らない。言えるのは、別に理由なく見せしめに殺されたというようなわけではないということだ。


2.イスラム教徒は狂信的なのか
 この点を私はずっと誤解していた。長い間、イスラム教というのは、もの凄く厳しくて過酷な戒律に縛られた宗教だと思い込んでいた。だが「中田考」や「内藤正典」などによる、イスラム教やアラブ的な考え方を聞くと、ぎゃくに凄く寛容な宗教だと知って驚いた。

 例えば有名な断食があるが、断食の期間は夜明け前から夜までは食事をとらないという戒律がある。これだけ聞くと厳しそうだが、このルールには補足があって、病人とか妊婦とかは無理に断食しなくて良いこととなっている。そしてよるになると、お祭りのように全員で食事を楽しむのだが、しかもこの時には飲食店もただでお客に食事を振舞う事になっているそうで、乞食などもこの時には一緒に腹いっぱい食べて楽しむのだそうである。
 似たようなエピソードは多いが、ポイントなるのは、イスラムの戒律っていうのは厳しいルールがあるようだが、逆に人間はそんなにシビアに戒律守れないだろうというのが前提とあって、無理しない範囲でやれよ的な補助ルールがあるということ。それと、これは遊牧民的な世界観からくると思われるが、相互扶助が基本とあって、困った人を助けなさいという思想がかなりいきわたっていることだ。

 もう一つ印象的なエピソードをあげると、イスラムでは夫が妻に3回出ていけというと離婚が成立する事になっている。だから時々夫婦げんかで3回出ていけと言われたと、妻が律法学者(まあ和尚的な人)に相談にくる事があるそうだ。すると律法学者が夫も連れてきて話を聞き、夫に本当に離婚するのかと尋ねると、たいていは「勢いで言っただけでそんなつもりない」というそうである。すると律法学者が、お前たちはルールを破ったので代わりに、貧しい人に50食施しを与えないと指導したそうである。
 面白いのは、夫に罰を与えるのではなく、周りの他者の施しをして償いをせよという発想である。どうも似たような考えやエピソードは多いらしく、イスラム的には罰を与えるよりは、他の者に役に立って返せとかいう事がおおく、これはキリスト教的な発想とはまったく相容れない。
 しかし、とてもユニークだし、むしろ良い習慣だという気がする。このように本来のイスラム教とは慈悲や相互扶助がベースになった教義や思想だと言える。


 上記に挙げたように、知れば知るほど、逆にイスラム教の発想というのは面白くて、私的には目からウロコの事ばかりだ。とても関心がわいてきて、現在はイスラムに関する本や資料をもっと見てみようと思っている。「酒と豚肉が禁止でなければ、イスラム教になってもいいかな」と思えるぐらいに、面白い。


 では、そういった私的には色々な誤解が解け、あらたに見た現在のイスラム国とアラブ世界についてを考えてみると、まったく今までと異なった様相に見えてくる。私はまだ知識不足なのだが、直感も踏まえてやや乱暴にまとめると、次のようなものだと考えている。

 イスラム教(イスラム圏)とは、アラブ語で書かれた1つのクルーアン(コーラン、聖書的な物)をベースに生活している人なので、住んでいる場所や人種が違えど共通的な世界観をもった人たちであり、これが15億人ほどいるということである。これは、実は凄い事で、例えば日本とタイでは同じ仏教でも一緒に拝んだりすることはできないのだが、イスラムだと同じ言葉とおなじ言語なのでどこでもいっしょに拝んだりできるのである。つまりは、人種が違っても同じ世界観を共有する巨大なグループが存在するという事である。

 そして現在のアラブの混迷というのは、第一次~二次大戦を経て西洋によって乱暴に分割(分断)された人たちが住まう歪な世界の矛盾が元となっている。つまりは、もともとは遊牧民的な人たちで明確に国境とかなかったのが、西洋がむりやりイラン、イラク、シリア等の国境を作って、強引に西洋的な傀儡政権を作ったのが原因である。その最たるものがイスラエルである。そういった歪の中で、やがて西洋化する前の世界観(イスラム原理主義に忠実)でアラブを再構築しようというのが、現在のイスラム国という運動なのである。

 だが現在の西側メディアでは、イスラム国はテロリストの集団であり、野蛮でどうしようもない連中だという事になっている。(なんせ、シリアのアサド政権より悪い事になっているぐらいだからね) そしてアメリカは、彼らを葬る事が世界の正義だと宣言している。

 しかし偏見を捨てて視点を変えると、イスラム国で揺れるアラブの世界はあたかも「ベルリンの壁崩壊前のドイツのようであり」または「フランス革命まえのフランス」のようだとも言えるのではないかと私は思っている。つまりは、西側が作り上げた植民地政策からの最終的な解放闘争だと言えるのではないだろうか。さらには、これは世界を覆うとしているグローバル化へのもっとも強力な反撃となるだろう。(反グローバル化の希望と言えるかもしれない)もちろん、事はそう単純には言い切れないだろう。しかし西側の正義を鵜呑みにしてはいけない。


 最後の現状から推測する今後のポイントについて書いておく。

 私は心情的にはイスラム国成立を支持する方向に傾いている。理想的には、シリア・イラクの政権が倒れ(できれば極力平和的に)、そしてサウジやエジプトをも巻き込んだ、大きなイスラム共同体的なものが生まれるのが、過去の歴史や現在の世界の歪みを正した理想的な状況だと思っている。

 だが、そうなるには大きなハードルがいくつもある。1つはイスラエルの存在、2つめはアメリカ(西洋文化圏)との争いである。だが、私はそれよりももっとも大きな課題はイスラムが真に一つになるには「シーア派」「スンニ派」などの各派が一つになる事だと思う。それができずに、シーア派を異教徒扱いで殲滅しようとすれば、やがてはイスラム国という運動そのものも幻として終わるだろう。だから各派の統一というテーマが真にイスラム教の寛容さ(度量)を試される事になると思う。

 ちなみに、今の日本は安倍政権がアメリカに追従して、アラブまで派兵しそうな勢いだか話がややこしい。日本のアラブ参戦は道義的な妥当性はないし、戦争がすんなり済む可能性もないし、テロでお互いにメチャクチャになる可能性もあるし、考えられる最悪のシナリオである。
(別にこじつけるつもりは無いのだが、あらゆる方面にて安倍政権というリスクにぶつかる。どうにかならんのかな・・・ほんとに)


<参考リンク>
『一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教』/内田樹&中田考

イスラーム国の論理とそれを欧米が容認できない理由

同志社大学 講義「良心学」第11回「向こう岸から良心を考える──イスラーム世界の良心、西欧世界の良心」(内藤正典)

同志社大学 講義「良心学」第12回「向こう岸から良心を考える──イスラーム世界の良心、西欧世界の良心(2)」(内藤正典)