2014年8月18日月曜日

『なめらかな社会とその敵/鈴木健』の紹介について

 この本は「この複雑な世界を複雑なまま生きることは、いかにして可能か。」という問題定義から始まる。私はこの本を読んで、とても驚くと同時に興奮もした、そして多くの人に読んで貰いたいとも思った。

 だがこの本に書かれていることは何なのかというのを説明するのはとても難しい。何故ならば、冒頭にあるように、この本が目指しているのは「複雑な世界を複雑なまま受け入れること」であり、だからもしも私が適当に簡単にまとめて説明するような事をすればその意義を永久に無くしてしまうからだ。

 まるでおとぎ話のように、いや、むしろ至る所にあるが私たちが忘れている、本来この世界の出来事は、そのまま変換可能や交換可能にはならないという事を思い出させる。
 例えば「オーケストラの生演奏」を録画して再生しても、その場で聞いた音には届かないだろう。同様に完璧なディナーを完全に真空パックなどで劣化しないように保存することはできないし、恋人とのデートをお金をもらって再現したところで同じにはならない。
 本来この世の出来事は全て交換不可能・変換不可能である。だが、近年は「あらゆるものはコストにて変換可能である」というプロパガンダが幅を利かせるようになって、そのことを忘れがちだ。別に資本主義は全てを救えるわけではない。


 どうも話が脱線したが、私はこの本の事を正しく要約することはできないのだが、それでもどうにか紹介したいので、あえて個人的な見解や誤解も含めた理解にて乱暴にはなるが、なんとか説明をする事にする。

 まず、この本は下記の3つの章で構成される。
  第1部、なめらかな社会
  第2部、伝播投資貨幣 PICSY
  第3部、分人民主主義 Divicracy
  第4部、自然知性
  第5部、法と軍事

 第一部が、そもそもの問題提起にあたる部分で、現在は複雑な社会をうまく理解や表現できていないという点についての解説であり、またその対策として想定する「なめらかな社会」というものの説明である。そして第2部以降が、「なめらかな社会」を実現する手段や考え方の提案である。

 ちなみに、この本は簡単ではない、だが決して理解できないほど難しい本ではない。何故ならば、作者はこの書籍を一般的な読者に読んで貰えるように懸命に丁重な説明をしているからだ。
 なお、私は第一部での問題定義については賛同するが、伝播投資貨幣にの実現については懐疑的である。でも、それで良いし、そのように多くの人が読めば良いと思う。あくまでもこの本は問題定義と提案であり、目的はまさに多くの人が問題定義について知る事であり、提案について考える、あるいはこの本にない新たな提案を考えることであるからだ。

 しかしこの本を読んで最初に思った衝撃は「伝播投資貨幣」についてだったので、これだけでも少し説明をしたい。この提案は現在の資本主義社会が抱える課題。資本がよりよい事にうまく投資されないという課題に対する提案である。つまりは、公害や環境破壊なので後々に影響を与えるような問題投資を、現在社会がうまく制限できない、あるいは評価できないという問題についての検討である。
 そしてその手段として「伝播投資貨幣」というものは、通貨そのものが株式投資と同様に概念をもち、社会に貢献した投資にたいするキャッシュバックが生じるというものだ。簡単な例をあげると、私が100万円つかって森を整備したとする。後に整備した森が人々の集まる場所となって公園になって色々と発展すると、私に対して後から社会貢献分の20万キャッシュバックが生じるといったものだ。(補足:ちょっと不安だけど、大まかにはこんな理解であっているはず・・・)

 この話を読んで、私は「すごい事を考える人がいるものだ」と素直にとても驚いた。この発明(発想)というのは、ある意味「産業革命」と同じか以上に凄いパラダイムシフトを生みかねないものだと直感したからだ。私はもともとシステム屋(IT)なのだが、いつからか現在社会をシステムとして見立てた場合に、数多くのバグや、時代遅れと思われる部分があって、なんとかリファクタリングする手段はないものかと夢想するようになった。だが、ここに書かれているような、発想は夢にも思ったことがなくて、本当に驚いたし、凄い事を考える人がいるものだと思った。だから、是非とも多くの人に読んで貰いたい本ではある。


<補足>
 「伝播投資貨幣」を単なる荒唐無稽と思う人は、近年あらたに生じている事を知るべきである。ギリシャでは経済危機により、通貨がうまく機能しなくなった為に、新たに「地域通貨」が生まれたり、あるいは物々交換による経済活動などが一部では始まったという事である。日本にいるとピンとこないかもしれないが、現実は遥かに先をいきつつある。
 なお「伝播投資貨幣」というのは、今思い出したが内田樹が言っていた「贈与経済」的な考えともつながる気がする。ちなみに私は最近はずっと、経済破たん後の世界や暮らしという事が頭に離れなくて「半自給自足型の社会」(経済成長優先よりも、半分自給できるように余地を残した社会)というものをよく考える。
 そろそろ日本も現実を見て、経済成長しか道がないというような馬鹿丸出しのような政策を止めて、もっと地に足がついた生存手段を考えるべきだと思うのだが・・・なかなか、まだ時間がかかりそうだな。

<参考リンク>
・『なめらかな社会とその敵』を読む
 http://blog.tatsuru.com/2013/02/13_0755.php
・経済成長の終わりと贈与経済の始まりについて
 http://blog.tatsuru.com/2012/04/08_1110.php

0 件のコメント:

コメントを投稿